詩は漢字のみで読み難いので、下に軽重浮薄の世の中について書かれた7句から最後までの訳を『飯田利行著[良寛詩集譯」大法輪年昭和44年発行』 から引用させて戴きます。)

核エネルギーとの縁

良寛さんの「地震後の詩」

私は東日本大震災の前の年(昨年)の暮 偶々、良寛さんの下記の「地震後の詩」を読む機会がありました。
この地震は西暦1828(文政11)年11月12日午前8時ごろ地震が起きて、越後三条を中心に今町(見附市)・与板・燕など信濃川流域の町村に倒壊家屋二万余軒、死者千五百余と言う大被害をもたらした三条地震です。

テキスト ボックス: 地震後詩
  良寛#13;#10;日々日々又日々#13;#10;日々夜々寒裂肌#13#10漫天黒雲日色薄#13;#10;匝地狂風捲雪飛#13;#10;悪浪蹴天魚竜漂#13;#10;牆壁鳴動蒼生哀#13;#10四十年來一回首#13;#10;世移軽微信如馳
況怙太平人心弛
邪魔結党競乗之
恩義却為讐
忠貞更知無
論利豪末争
悟道徹底癡
 慢己欺人称好手
以紫為朱凡幾時
呼鹿為馬曽無知
太地茫々皆如斯
凡物自微至顕亦尋常
這回災禍 猶似遅
大丈夫之子須志気
顕人怨天咎児童倣
何必怨天咎児童

;地震後詩  良寛                         飯田利行抄訳 

さて40年来のことが思い出される。世の中の軽はずみになっていくさまは、まるで、坂を駈け下りるようだった。邪(よこしま)な連中は徒党を組んでこの事態に競い合ってはつけ込みの悪事を働き、人に恩義を施しても逆に悪心を起され、真心などだれも知り得なくなった。利害が絡むと、些細なことでも相争い、仏道の話など耳をかそうとしない「底ぬけ頓馬の慰みごとぐらいにしか、もう誰も考えなくなったのか?  まして己を高ぶり、人を騙す者を世間ではやり手の人だと持ち上げる。大地のどこまで行っても世の中すべてみんなこのようなていたらくにすぎない。ひとり心重苦しく塞(ふさぎ)こんでいるがこれは誰に訴えようともすべがない。物事は微(び)から顕(あきらか)であることが普通である。このたびの災害も、その因果のもとが大きくなる前に起こるべきだった。しかし皆さん、どうか毅然と身を処し、天への恨みや人への怨みなど子供っぽいことを考えないようにして頂きたい。


私には、「世の中の退廃」という社会の状態は、地震を起こすエネルギーや力を持っているとは思えないので、直接地震を起こすことは出来ないと思っています。しかし、1930(昭和6)年に都(みやこ)から遠く離れた信州飯田で生まれ、母親から「自分のことより、人のためをいつも考えて行動しなければいけませんよ。あなたの行動はお天道様が何時も見ているから、誰も見ていないから大丈夫と思って、弱い人をいじめたり威張ったりすると、お天道様はお前を見ていて、罰を与えるからね。」と言われて育った者としては、世の中が良寛の詩に書かれているようなひどい軽佻浮薄であったとすれば、地震災害の発生に全く関係が無いとも言い切れない気分にもなり、また母を思い出し、このような考えが大変懐かしく感じられたものでした。  このようなことがあって、今年3月11日に東日本大震災が有り、それ以降、地震の惨状を原子炉が拡大させていることを映像で見ることになりました。私は、その惨状の酷さに愕然となりましたが、今回は原子力に関する部分に関して、私自身が原子力の専門家として過ごした50年を振り返ることにより、何故このような悲惨なことになったか、自分なりに納得したいと思い、自分だけの納得とならないように注意しながら、 その結果をこのページに書くことにしました。読んで見て頂ければ幸いです。



日本原子力研究所入所
立教大学原子力研究所に移る
アジア各地域で研究用原子炉を使っての研究指導
立教炉解体届文科省提出
2000(平成14)年に我が家の屋根にソーラセルを設置
エリクソンのライフサイクルの発達課題 についての検証

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